実は国立感染症研究所はこの場所に立ったというより別の場所からわざわざ移転してきたのです。ホームページには1992年にこの場所に移転してきた、という事実しか記されていませんが、その際に周辺住民と早稲田大学教職員の強い異議申し立てがありました。早稲田大学文学部は教授会決議まで出して、有無を言わさぬ移転に反対しました。このような近隣住民、大学教職員の意思が無視されたために、一九八九年に実験差し止めを求める裁判が東京地裁に起こされ、最終的に施設の実験差し止め・再移転要求に対する最高裁の判断をめざしました。その結果二〇〇五年に上告は棄却されましたが、高裁判決においては感染研は安全遵守を厳しく言い渡されています。
移転請求が却下された原因には、予想される危険の事前の防止を認める判例が過去にないこと、このような施設の立地についていまだ法的規制がなされていないことなどがあげられますが、感染研が事故を起こした場合の被害の甚大さについては、高裁も認めたのです。