略年譜

七九年一〇月 八日 国立予防研究所「新庁舎建設計画の基本方針について」で、戸山移転が浮かび上がったと 報告
八一年一二月    戸山への移転構想、部長会で了承
八六年 七月    予研戸山庁舎の建設計画公表
八六年 八月    近隣住民への第一回建設説明会(研究内容には触れず)
八六年 九月    近隣住民への第二回建設説明会(住民、日照問題で計画変更を要求)
八六年一〇月    住民合意のないまま、整地工事強行
八七年 一月    予研の「安全性」が問題になり、移転反対運動起こる
八七年 二月    住民説明会。早稲田大学、本工事着工反対を申し入れ。全厚生予研支部(労働組合)も、 一方的着工反対を申し入れ
八七年 二月 九日 住民第一回公開質問状提出
八七年 二月二七日 早大総長、厚生大臣宛て要望書
八七年 三月 六日 予研第一回回答書
八七年 五月一七日 住民第二回公開質問状提出
八七年 七月    新宿区議会 P3実験室建設中止請願を全会一致で、採択
八七年 八月一〇日 予研第二回回答書(学友会名)
八七年 九月一三日 住民第三回公開質問状提出
八七年一〇月 一日 住民第四回公開質問状提出
八七年一〇月一八日 住民第五回公開質問状提出
八七年一二月 八日 予研第三回回答書
八八年 二月 七日 住民第六回公開質問状提出
八八年 二月二八日 住民第七回公開質問状提出
八八年 三月    予研、準備工事着工を強行
八八年 四月    住民第八回公開質問状提出
八八年 四月一九日 住民第九回公開質問状提出
八八年 七月二一日 予研第四回回答
八八年 八月二四日 予研=感染研による工事説明会
八八年 八月    工事説明会以後、座り込み開始
八八年一一月二七日 住民第一四回公開質問状提出
八八年一二月一三日 予研、機動隊を動員して、着工を強行
八九年 三月 五日 「予研裁判の会(原告団)」創立総会
八九年 三月二二日 東京地裁に一二八名の原告が提訴。移転差止めを要求
八九年 六月 五日 予研裁判を支援する会、創立総会
八九年 六月二〇日 予研裁判第一回公判
九〇年 一月    『論争・生物災害を防ぐ方法』刊行
九〇年一二月 二日 早大文学部で「予研裁判講演会」
九一年一一月一一日 リフキン氏、「署名をすすめる会」主催で早大で講演会
九二年 五月二八日 「今再び予研新宿移転に反対する署名」二万五千筆を、厚相、予研所長に提出。
九二年 九月 七日 予研、新宿への移転を強行
九二年一〇月一七日 早大文学部教授会等六団体が、予研再移転を求めて、集会、抗議デモ。
九二年一二月二三日 P3実験開始を強行
九三年 七月一〇日 早大文学部で、文学部教授会など七団体共催で「予研危険な病原体実験凍結、再移転要求 集会」が開かれ、約百名が参加した。
九三年 八月一〇日 『バイオ裁判』刊行
九四年 二月 五日 早大文学部教室で、シンポジウム「『バイオ裁判』を読む」が開かれた。
九四年 九月二九日 新宿区議会が、全会派一致で「住民の合意の無い実験の停止」を求めた請願を採択
九四年一二月一〇日 早大文学部教室で、「予研を裁く早稲田法廷」が開かれた。
九四年一二月一七日 区立障害者福祉センターで、「新井先生を励ます会」が五〇余名参加して開かれた。
九五年 一月一七日 阪神淡路大震災
九六年 四月    三共消毒の「作業日誌」が、予研庁舎で、年間一五二六匹のゴキブリを捕獲と報告
九七年 六月一四日 コリンズ、ケネディ氏来日を機に、早大文学部教室で「国際シンポジウム」開催
九七年 六月一八日 原告側推薦のコリンズ、ケネディ氏、国側推薦のオビアット、リッチモンド氏による国際 査察が行われた。
九七年 四月 一日 予研が「国立感染症研究所」と改称
九八年 六月一九日 オビアット、リッチモンド査察報告書の署名偽造を告発
九九年 九月    映画『科学者として―笑顔と告発―』完成。
〇〇年 七月二五日 結審(原告二八一名となる)。結審を機に、一二年に及ぶ座り込みを中止
〇〇年一一月一〇日 『科学者として』(幻冬社)発刊
〇一年 一月 四日 新井主任研究官に厳重注意処分
〇一年 一月二〇日 新年会を兼ねて、『科学者として』、『バイオハザード裁判』出版記念会
〇一年 一月三一日 『バイオハザード裁判』(緑風出版)発刊
〇一年 三月一四日 原告団長芝田進午氏逝去
〇一年 三月二七日 東京地裁判決 原告の請求を棄却
〇一年 四月 七日 予研=感染研裁判と新井さん支援コンサート、一三〇余名参加
〇一年 四月一〇日 一六三名の控訴人が東京高裁に上告(控訴人代表芝田貞子)
〇一年 六月三〇日 予研=感染研裁判の会第一三回総会 武藤徹会長を選出
〇二年 二月二〇日 打ち合わせ会で、大藤判事が「科学裁判」との認識を示し、事実審理に入る
〇二年 四月 四日 定例世話人会で、「大気拡散調査」実施を決める
〇二年一一月一三日 「新宿区戸山国立感染症研究所周辺地域大気拡散調査報告書」提出
〇三年 二月 四日 「厚生労働省戸山研究庁舎研究実験棟の耐震安全性について」提出
〇三年 二月二六日 結審
〇三年 七月一六日 公判再開 第二次結審
〇三年 九月二九日 判決公判 危険性を認めるも、請求は棄却
〇三年一〇月一二日 一一一名が最高裁に上告
〇三年一二月一五日 上告理由書提出
〇四年 一月二六日 最高裁より、第三小法廷で審理する旨、連絡があった
〇四年 一月三一日 午後、戸山ハイツ集会所において、予研=感染研裁判の会の新年会を行なった。一六名が 参加した。
〇四年 二月 五日 「ピースキャンドルナイト」に一〇名が参加。明治公園から防衛庁まで、デモ行進を行なっ た。
〇四年 二月一二日 定例世話人会
〇四年 三月 四日 定例世話人会
〇四年 三月 八日 「予研=感染研再移転要求ニュース」発送
〇四年 三月二〇日 新宿区戸山の環境を考える会学習会
〇四年 三月二二日 倉田毅氏を国立感染研所長に任ずることの無いよう、バイオハザード市民センター代表幹 事本庄重男、予研=感染研裁判の会会長武藤徹連名の要望書を厚生労働大臣あて発送。
〇四年 三月下旬  「バイオハザード裁判」全戸ビラ配布
〇四年 四月 一日 第三二回定例世話人会
〇四年 四月 三日 倉田毅氏を国立感染研所長に任命したことに対し、バイオハザード市民センター代表幹事 本庄重男、予研=感染研裁判の会会長武藤徹連名の抗議文を厚生労働大臣あて発送。
〇四年 四月 六日 若松地区町会常任理事・理事あて、予研=感染研裁判の会会長・副会長連名の要請書を送 る。
〇四年 四月二六日 「予研=感染研再移転要求ニュース」発送
〇四年 五月 六日 第三三回定例世話人会
〇四年 五月一九日 地裁七一〇号法廷で新井さんの第一九回公判が行なわれた。武藤会長が証言
〇四年 五月二二日 予研=感染研裁判の会総会
〇四年 五月二七日 新宿区戸山の環境を考える会学習会
〇四年 五月二九日 旬報法律事務所創立五〇周年記念レセプション。会員一〇名が参加
〇四年 六月 三日 第三四回定例世話人会
〇四年 六月一二日 平和のためのコンサート開催
〇四年 六月三〇日 地裁七一〇号法廷で新井さんの第二〇回公判。本庄重男さんが証言
〇四年 七月 一日 第三五回定例世話人会  新宿区戸山の環境を考える会学習会
〇四年 七月一一日 東京信愛教会七〇周年を祝って、予研=感染研裁判の会会長と中山副会長が表敬訪問   同日、永年、ニュースに俳句を寄稿された滝上さんが逝去された。
〇四年 八月 五日 第三六回定例世話人会
〇四年 八月一一日 「予研=感染研再移転要求ニュース」発送
〇四年 九月 二日 第三七回定例世話人会
〇四年 九月二二日 地裁七一〇号法廷で新井さんの第二一回公判が行なわれた。川本さんが証言
〇四年一〇月 七日 一七時より 新宿戸山の環境を考える会の学習会 早大文学部
一九時より第三八回定例世話人会 区立障害者福祉センター
〇四年一一月 五日 一九時より 第三九回定例世話人会 区立障害者福祉センター
〇四年一一月二五日 一八時三〇分より牛込箪笥区民ホールでコンサート『それぞれの秋』芝田さん、嶋田さん が出演
〇四年一二月 二日 一七時より早大文学部会議室にて 新宿戸山の環境を考える会の学習会テキスト「教え  て!バイオハザード」一九時より 第四〇回定例世話人会 区立障害者福祉センター
〇四年一二月一五日 一四時三〇分より新井さん裁判公判 七一〇号法廷
国立感染研倉田毅所長が証人に立った。
〇四年一二月一八日 一三時三〇分より『バイオハザード原論』出版記念会 こまばエミナースにて
〇五年 一月 六日 一九時より第四一回定例世話人会 区立障害者福祉センター
〇五年 一月一六日 一三時三〇分より 予研=感染研裁判の会編集委員会
〇五年 一月二二日 一八時から、区立障害者福祉センター調理室において新年会を開いた。
〇五年 二月 三日 一七時から学習会。一九時から、第四二回定例世話人会
〇五年 二月 八日 一〇時より、芝田さん宅でニュースの発送を行った。
〇五年 三月 二日 高槻のJT裁判で原告の勝訴が確定した。(最高裁第三小法廷、藤岡、浜田、上田判事)〇五年 三月 三日 一九時より第四三回定例世話人会 区立障害者福祉センターにて
〇五年 三月 九日 一三時三〇分から、東京地裁七二二号法廷で、新井さん裁判の第二三回公判。新井さんが 証人に立った。
〇五年 四月 七日 一九時より第四四回定例世話人会 区立障害者福祉センターにて
〇五年 四月一三日  一〇時より、芝田さん宅でニュースの発送を行った。
〇五年 四月二六日 最高裁が上告棄却、上告受理申立不受理を決定。
同日 感染研が無届で遺伝子組み換えマウスを実験に使用していた件に関して、バイオハザード予防市民セン ター(本庄、新井)、予研=感染研裁判の会(武藤)連名の抗議声明を発表した。
〇五年 五月 八日 一九時から、臨時世話人会を開き、最高裁決定に対する声明を採択した。
〇五年 五月一二日 一七時より「新宿区戸山の環境を考える会」学習会(『バイオハザード原論』)
一九時より第四五回定例世話人会 区立障害者福祉センターにおいて、
〇五年 五月一七日 早稲田大学文学学術院教授会が最高裁判決に遺憾の意を表明する声明を発表した。
〇五年 五月二四日 一四時より、芝田さん宅で「再移転要求ニュース」発送               〇五年 五月二六日 一〇時三〇分より東京地裁七一〇号法廷で、新井さんの裁判公判、最終弁論
〇五年 六月 二日 一九時より 第四六回定例世話人会
〇五年 六月 四日 一四時より平和のためのコンサート
〇五年 六月一八日  予研=感染研裁判の会第一七回総会 運動の継続を確認
〇五年 七月 七日 一九時より 第四七回定例世話人会
〇五年 七月一五日 一七時より支援する会解散総会
〇五年 七月一九日 一四時より、芝田さん宅で「再移転要求ニュース」発送
〇五年 八月 四日 一七時より「新宿区戸山の環境を考える会」学習会(『バイオハザード原論』)
一九時より 第四八回定例世話人会 この日、本江慶子さん逝去
〇五年 八月二七日 神田ふくさん逝去
〇五年 九月 一日 一七時より「新宿区戸山の環境を考える会」学習会(『バイオハザード原論』)
一九時より     第四九回定例世話人会
〇五年 九月一五日 一三時一〇分より、新井さんの判決公判が東京地裁七一〇号法廷でひらかれ、訴えを却  下。
〇五年一〇月 六日 一九時より 第五〇回定例世話人会
〇五年一一月 三日 一九時より 第五一回定例世話人会
〇五年一一月二六日 一九時より 報告集会「予研=感染研裁判を終えてー感謝をこめて そして これから」