国立感染症研究所を考える会の運動

感染研の安全性に関する説明会の意義と今後の運動の展望

               バイオセーフティ対話

平成24年10月20日(土)

国立感染症研究所の安全性を考える会          会長 鈴木武仁

 

本日、「考える会」と「感染研」とで昨年11月11日にもった「説明会」の報告書『バイオセーフティ 感染研と住民の対話』が桐書房のご尽力により発行されました。そこで、元国立予防衛生研究所研究員であった山内一也・三瀬勝利共著『忍び寄るバイオテロ』(日本放送出版協会、2003年)を参考にしながら、この説明会の意義と今後の運動の展望について考えたいと思います。

このたびの住民との対話を通じて感染研がテロや地震への対応がいかに脆弱なものであるかが理解できました。そこで、バイオテロの観点から、危険なウイルスが漏出した場合の環境への影響、バイオテロに対処する研究や防御対策の未熟さを明らかにし、研究所の地域社会への絶対安全ということの幻想を打破していきたいと思っています。地域住民の方々に、「福島第一原発の放射能被害とは比べられない程の深刻な事態がこの都心を襲う可能性の想定」を持ってもらうことがこの運動の方向性です。

 

1 バイオセーフティの必然性

このたび発行した冊子は『バイオセーフティ』と題名をつけましたが、バイオハザードとそれとの違いについて最初にお話しておきたいと思います。バイオハザード(biohazard)はbiolo

gical hazard(生物災害)を合わせた造語で、本来は実験室で研究する人に起こる感染事故を意味していました、実験室から漏出した微生物により外界の人への感染を起こす可能性を含めて広く捉えるようになっています。よって、地域社会(コミュニティ)への拡大に射程距離を置き対策が検討されるようになったわけです。

古典的バイオハザード対策 

19世紀後半だけでも腸チフス菌、プルセラ菌、破傷風菌、鼻疸菌、コレラ菌の実験室での人的感染が続き、マスク、白衣、手袋を着用するようになりました。

新たなバイオハザード対策 

20世紀初頭になって、生物兵器の開発研究がアメリカで盛んになり、豊富な資金力と技術を投入して、炭疸菌、Q熱リケッチア、ブルセラ菌、ボツリヌ毒素、麻痺性貝毒、野兎病菌、ウマ脳炎ウィルスなどの大量生産と兵器化に成功してきました。ソ連も戦後、アメリカに負けず劣らず生物兵器の開発に精を出していましたが、1979年スヴェルドルフスク(現在のエカテリンブルグ)で炭疸菌事故が起きたのでした。ソ連陸軍生物研究所で空調フィルター交換のときに新しいフィルターを付け忘れる初歩的ミスを犯し炭疸菌芽胞が漏出し風に乗って町を汚染したのです。歩行者は空中に漂う炭疸菌芽胞を吸い込み、肺炭疸を発症しました。96人が罹患し、66人の死者が出たのです。

 

1970年以降宇宙開発が進み、アポロ宇宙船が持ち帰った月のサンプルを採取してきましたが、地球上に存在しない危険な病原体が付着していないかを確かめるために隔離実験室を作り、そこにアポロ計画で開発されHEPA(high efficiency particulate air)フィルターと呼ばれる高性能フィルターを設置したのです。これは現在、感染研でも安全キャビネットに用いられています。

70年代になると癌を起こすウィルスの研究も推進し、バイオハザードという名称も普及した。同時にこの頃、組み換えDNA実験技術が開発され、これまでの病原体の指針と異なり、潜在的危険性の病原体を対象としたため、これらの指針では「危険度」ではなく「安全度」という表現で病原体の分類が行われ、生物学的安全性の確保という面が強調され、これをきっかけに「バイオハザード」という用語は「バイオセーフティ」(生物学的安全)に置き換えられてきました。

 

2 実験室名の変化

バイオハザード対策は、本来実験中の研究者の病原体からの防止を目的としたもので、その基本は病原体の一定空間の中への封じ込めでした。これを「物理的封じ込め」(pysical containment)と言って実験者に病原体が接触しないようにする第一次隔離と実験室から病原体が外界に出ないようにする第二次隔離の対策がなされ安全キャビネット装置を設置し対策がとられたのです。この実験室の封じ込めレベルは、「物理的封じ込め」」の頭文字Pをもとに危険度の少ないほうからP1、P2、P3、P4と分類されていましたが、バイオセーフティの用語が普及した現在、P4実験室ではなくバイオセーフティレベル4(省略してレベル4)実験室の呼び名が用いられています。天然痘ウィルス、エボラウィルス、マールブルグウィルスなどの病原体はレベル4実験室で取り扱わなければならないことになっています。現在、感染研でのレベル4病原体の使用は許可されていません。

3 生物兵器と炭疸菌

ともに兵器の本体は同じで炭疸菌や天然痘ウィルスなどの病原微生物であるが、戦争に使う場合は「生物兵器」、テロに使う場合は「バイオテロ」と呼び分けていますが、一般では「生物兵器」と呼んで差し支えありません。

東北大震災に伴う福島第一原発からの放射能汚染を経験した日本は、いま原子力規制委員会を設置し、空中からの飛来物による攻撃に直面しても被害をもたらさない安全対策を規制指針に盛り込むことが検討されだしましたが、同じことが感染研においても検討されるべき時が来ています。今回の感染研と住民との対話において明らかになったことは、これらの想定内のテロ対策に対してなんらの対策がなされていないこと、その予算すらなく対処のしようもないとの事実です。

これは危機管理の問題であって病原体の漏出が起こる危険性があり、これまでの安全神話が崩壊したということです。地域の住民にしても、放射能の危険は実感してきたようですが、まだ病原体の漏出による被害というものがどのようなものなのかも知らないというのが地域住民の意識レベルであるのです。

オウム真理教が、1995年3月20日に地下鉄電車の中で致死性化学物質サリンを使った「化学テロ」を行い、それ以前の1990年から93年にかけて国会周辺でボツリヌス毒素が散布され、93年には炭疸菌の芽胞も東京・亀戸周辺で散布されていました。

炭疸菌は、「生物兵器の帝王」と言われています。呼吸器から吸収させて肺炭疸を起こさせれば、ほとんどの人は死亡します。2001年10月4日、アメリカのフロリダの新聞社の63歳の男性が肺炭疸を患い、重体に陥りました。2001年9月11日に世界貿易センタービルへのテロ攻撃があったすぐ後でした。この病気の初期症状は、9月27日に始まり、かぜに似た症状で発熱、寒気、発汗です。5日後に危篤状態になり高熱、脈拍は異常に速くなりました。結局、入院3日後の10月5日に死亡しました。同じ時期、同じ新聞社で働いていた男性がかぜに似た症状で入院、発熱のため抗菌薬シプロフロサシンの投与を受け、この殺菌作用で救命されましたが、鼻腔から炭疸菌の芽胞が検出されました。炭疸菌には、栄養型と芽胞型があり、栄養型は芽胞型より高温、乾燥、消毒薬などに弱く、簡単に殺菌できるのです。しかし芽胞型は、硬い殻の覆われており消毒薬にも抗生物質にも強いのです。この男性は間一髪で奇跡的に救われました。

フロリダの炭疸菌患者の発生の後、同じ患者が10月12日から2~3日に間にニューヨークやワシントンで発生しました。芽胞を含む白い粉を入れた封筒がテレビ会社、新聞社、上院議員事務所に送られてきたのです。患者はみな生還しましたが、追い討ちをかけるようにワシントンの同じ郵便局の職員4人が郵便封筒の小さな穴から舞い上がった白い粉を吸って発病し2人が死亡しました。これは明らかにバイオテロでした。

 

4 天然痘ウィルス

2001年9月11日の同時テロに続く炭疸菌事件がきっかけとなり、天然痘によるバイオテロ対策が重要課題となってきました。膿のたまった吹き出物のような発疹が出るので日本では「疱瘡」とも呼ばれています。天然痘ウィルスは呼吸器から感染します。感染すると、口腔や気管の粘膜に発疹が見つかり、咳などから放出され、これを吸い込むことで感染します。頭痛、筋肉痛、関節痛などと一緒に発熱が生じます。その後、蕁麻疹や紫がかった斑点が現れます。やがて水疱や膿庖が広がり、あばたができます。免疫がなければ、95%死亡するものもあります。

5 ペスト菌

防衛省が警戒すべき生物兵器として炭疸菌と天然痘ウィルスのほかに、ペスト菌とボツリヌス菌(毒素)の四種類をあげている。米国のCDCでは        、これらに加えて野兎病菌とエボラ出血熱ウィルスなどを危険性の高い生物兵器がカテゴリーAに分類されています。

ペストは内出血が起こり、黒色斑が生ずることから「黒死病」とも呼ばれています。

6 コレラ菌

731部隊でも研究されていた細菌兵器にコレラがあります。大量のコレラ菌を中国人捕虜に強制的に飲ませて発症させました。

世界的な流行を起こすことを「パンデミック」と呼びますが、いまだにコレラのパンデミックは続いています。感染すると急激な下痢を起こし、ころりと死んでしまうところからコレラを「ころり」と呼んで恐れました。

7 鼻疸菌(びそきん)

抗生物質が限られており、ワクチンもないため恐ろしい病原菌です。感染すると、悪寒、発熱、頭痛、鼻漏、リンパ節の腫れなどの症状が出ます。致死率50%です。

 

8 野兎病菌(やとびょうきん)

野うさぎが保菌しており、触れたり、生焼きの肉を食すると発症します。ネズミ、マダニから感染する場合もあります。発熱、悪寒、頭痛、潰瘍、リンパ節の腫れなどが主症状です。治療には、抗生物質が有効です。

 

9 その他の細菌兵器

ブルセラ菌は頭痛、発熱、悪寒、筋肉痛、関節痛です。致死率5%ですが病気は長期化し、無力化させる細菌です。治療は、抗生物質によります。

その他、病原大腸菌O157、赤痢菌、チフス菌、パラチフス菌、破傷風菌、ガス壊疽菌、食中毒を起こすサルモネラ菌、Q熱リケッチアなどがあります。

 

10 ウィルス兵器

これまで天然痘以外は、細菌兵器となるものをお話してきましたが、ウィルス兵器の中には天然痘ウィルスに次ぐものとして、マールブルグ、エボラ、ラッサ、クリミアコンゴ、ハンタ、デング、西ナイルなどの致死率の高い出血熱ウィルスがあります。これらに対しては有力な予防・治療法がありません。

出血熱ウィルスとは、皮膚の毛細管などで出血を起こすウィルスの総称です。

11 マールブルグウィルス

マールブルグ病は、致死率20%です。1967年、ドイツのマールブルグ市とフランクフルト市でサルを用いてポリオ・ワクチンの製造と検定をおこなっていた研究所で発生しました。感染源はアフリカのウガンダから輸入したミドリザルで、31名が感染し、7名が死亡しました。

 

12 エボラ出血熱ウィルス

エボラ出血熱は致死率50%です。これを疑われた男性が1992年に千葉市で原因不明で死亡したことがありました。彼はアフリカのザイールに旅行し、野生のゴリラ観察ツアーに参加していたところ、引っかかれたのでした。血清が予研に送られ、検査の結果、エボラウィルス抗体が陽性であったので、サンプルをCDCに送って調べたところ、1ヵ月後CDCから連絡があり、エボラではないことが判明しました。2ヵ月後に患者は、熱帯性マラリアとのことでした。エボラの効果ある薬はまだ見つかっていません。

13 ラッサウィルス

ラッサウィルスは致死率20%です。1969年、ナイジェリア東北部の奥地ラッサ村で初めて発見されたものです。これはマストミス(別名、多乳房ネズミ)が保有することが分かりました。感染は、その尿をほこりなどと吸い込み感染します。1987年東大医科学研究所でラッサ熱患者が見つかった事例があります。西アフリカのシェラレオネに滞在していた水道工事技師でした。倦怠感、発熱、喉の痛み、発疹、下痢の症状が生じ、予研で検査した結果、ラッサウィルスの抗体が見つかったのです。日本ではP4レベルの実験室が使用できないので、CDCにサンプルを送って調べてもらった結果、ラッサ熱と確定されました。

14 ハンタウィルス

1938年に満州とソ連の国境地帯に駐留していた日本陸軍の兵士の間で熱病が発生し、それを発生した地名をとって「孫呉熱」と呼びました。1951年、韓国型出血熱も発生、研究の結果、セシズカネズミから感染したと解り朝鮮半島の38度線近くを流れるハンターン河の流域であったことから「ハンタウィルス」と呼ばれています。致死率20%です。治療には、リバビリンの静脈注射が効くようです。ワクチンは中国と韓国で製造されているようです。

 

15 西ナイルウィルス

1937年にアフリカのウガンダのウエストナイル地方で発熱したことから命名されました。野鳥を宿主とし、蚊によって人に感染します。発熱、悪寒、眼や筋肉の痛み、頭痛、脳炎の症状を伴います。1999年ニューヨークのブロンクス動物園でフラミンゴが突然死に、近くではカラスの大量死が起きました。多数のカラスが空から麻痺を起こして死んでいったのです。その血を吸った蚊に刺されてヒトへの感染が起こりました。62名の患者が見つかり、7名が死亡しました。ニューヨーク市がつぎ込んだ対策費は15億円を超えると推定されます。

16 遺伝子組み換え生物兵器

ここで最後に考えておくべきことは、遺伝子を改変させて抗生物質の効かない細菌兵器を作りことです。1970年代に遺伝子組み換え技術は開発されました。例えば、天然痘とエボラ出血熱ウィルスの合体ウィルスを作って兵器とすることなどです。こういった可能性を考えれば、これらの生物兵器で攻撃された場合の対処・治療対策として感染研が研究しておかないわけには行きません。おのずからレベルアップの研究が期待されるわけです。

17 バイオテロ対策、バイオハザード(生物災害)対策

以上の病原微生物が漏出し、どれだけの地域社会の人々に影響が起こるのか想像することが大事です。甚大な被害が想定され、その被害額は原発の被害どころではないと想定されます。しかし日本では十分は対策がなれていません。米国の場合、多額の研究費を投じてこれらのバイオテロ対策研究をしていますし、レベル4実験室も稼動させているのが現状です。今後、日本もそうならざるを得ないのですが、防御のハードの面でも、またソフトの面でもアメリカを始め先進諸国と比べてはるかに遅れています。

この後、住民と感染研との対話において、これらのバイオテロを想定して強毒微生物による感染症の派生が起こること、外来感染症の襲来、研究所内の人為的ミによるウィルス感染とその漏出を想定した対策を講じることの必要性を認識するような対話を展開すべきであると考えます。

 レベル4の研究の必然性 

レベル4の実験の必然性から、そのために十分は予算措置をとり、広大な空間を用意して感染を防げる余地にある立地に移転するために準備をしなければなりません。

アメリカのCDCと感染研とは規模においても格段の開きがあります。すなわちCDCの総員は、8000人であるのに対して、感染研の総員はわずか575人です。戸山庁舎が213人、村山庁舎が362人とのことです。日本はアメリカの14分の1です。お粗末なものです。しかも生物兵器検出機器や防御機材なども十分なものもなく、開発研究すら満足になされていません。炭疸菌ワクチンの備蓄体制すらないのが現状です。

 微生物の安全管理に関するガイドライン

 感染研は強毒微生物を扱う研究者が、もしテロリストに変身したらどうでありましょうか。すでに感染研ではモラルハザードが発生し、下請け業者と結託した会計担当職員が、便宜を図ってリベートを受領し、逮捕され、有罪とされた事例もありました。病原微生物を扱う人たちがすべて聖人君主であるとは限りませんが、健全な倫理観を持つ人でなければならないのは言うまでもありません。厳しい倫理教育を施すよう要請するとともに、ガイドラインをさらに徹底させる必要があります。

感染研の場合、独自の安全管理規定があますが、病原微生物の管理や譲渡がルーズになりがちで、ここをテロリストたちが突いて、ウィルスの流出する恐れもあり、病原微生物規制委員会を設置していく時期が来たと言えます。